ササキバラ・ゴウ「<美少女>の現代史」 感想

 美少女の現代史となっていますが、漫画・アニメキャラをカタログ的に網羅した本ではなくそれらを消費する男性の<視線>にていて主に書かれています。
 まず美少女という存在を「傷つきやすさを身にまといながら、それゆえに決して傷つかないキャラクター」と定義し宮崎駿吾妻ひでおの諸作品を例にとり70年代以降欠落してしまった人生の目的に「恋愛」や「女性」を代入する過程で生まれたものだとしています。彼女たち美少女を傷つけないために男性は本来の欲情や暴力性を捨て、結果作品内では男性主人公は主人公としての根拠を失うという指摘はなるほど、と思いました。また、少女を描く宮崎駿と少年を描き続ける富野由悠季の対比は興味深かったです。
 後半では安部公房の「箱男」の話を紹介しつつ、美少女を巡る「見られずに見る」という関係や「視線としての存在」と化していく男性について考察していくのですが、結論に関してはちょっと投げだしてしまった感があります。
 自分としてはオタ歴が浅い事もあり、「萌え」や「美少女キャラ」を理解する上で足がかりになるいい本を読んだなという印象はあります。東浩紀とかはいいんですが、斎藤環の本だと気合入れて読まないと結構難しいのでw