オタクの素養について

過下郎日記さんより
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/20051010

非モテに捧げる駄文」というカテゴリー全体としてはオタクだけをテーマに書かれているわけではないですが興味深く読んだので勝手に紹介。

ここであるべき姿の一つとして提示されている「教養オタク」というある種の仙人のようなオタクが面白いかどうかは別にして、非モテやオタクに関する論考はとても興味深く読んだ。オタク趣味をなかなかオープンに出来ない自分にとって、周りのオタクと何となく距離を感じているというのはあるので(2chのおたく板に「自分はオタクだが、オタクのノリに付いていけない奴」というスレがあったけど感覚的にはあそこに集まった人達と近いのかな)「萌えオタク」「オタク」「教養オタク」の比較は参考になった。
さて、自分の場合、比較となる現実に知っているオタクの数が絶対的に少ない、というか同世代でアニメ・ゲーム趣味を持つ知り合いは一人しかいないので何の参考にもならないかも知れない事を断った上で書くと、オタクの一部と一般層(非オタ、モテ側)の娯楽に対する態度に差異がだいぶ無くなって来てるんじゃないかと思う。アニメ・ゲーム・読書(+二次元キャラ)とメジャーな新作映画・ファッション・スポーツ(+恋愛)という興味の対象物の違いがあるだけで(結構凄い違いだがw)それに対する見方・角度はそんなに変わってないんじゃないか。
このところ続々と送り出される人畜無害な感動作を一生懸命見ている人達というのは本来はオタクと相対する存在だったはずなのに(そこにいろんな感情が錯綜しているわけですが)オタク側の消費スタイルが徐々にそこに接近している気がする。モテと非モテがライフスタイルや趣味の面でぐんぐん離れていってるのとは別に起こっているねじれ現象は面白いといえば面白いが。
ただ、キャラに萌えストーリーに泣きながらも作品や自分を客体化してしまうことが非オタやモテ側とは違う斎藤環の言うところの「オタクの多重見当識」ということだと思っていたんですけが、その部分が削ぎ落ちていると言うか少なくともその知り合いにはこういう業の深さは感じないんですよね。アニメ板とかアニメサロン板なんかに立ってる萌えオタ糾弾スレというのは実は結構真面目なんじゃないかと思ってきた。

過下郎日記さんではいわゆる「萌えオタク」に関して

○彼らは恋愛至上主義社会の中の底辺層でどっぷりと「萌え」という名のアヘンに浸かってしまっている
○ブランド品漁りをする女たちと本質的にはあまりかわらない(〜中略〜)商品として与えられた記号を愛好しているだけ

おお、こいつはちょっとキツイぜぇな感じで相当厳しく喝破されていますが、正直言えば自分がその知り合いに対して持っているイメージはこれに近い。もちろん僕自身もそこに陥ってる部分はあるんだろうけど。

ひとつ参考になるのがこれ↓
http://it.nikkei.co.jp/trend/column/opinion.aspx?i=20051024gc000gc&cp=1
東浩紀ってところがいかにもであれな感じだけど、たまたま見つけたので。ラノベの現状とファウスト創刊に関する話からまさにこの問題に。

ここで重要なのは、大塚氏が「ひとはなぜキャラクターにリアリティを感じるのか」という疑問を手放さず、それについて考えを深めていることである。そして、その疑問は決して大塚だけのものではない。なぜ僕たちは、純文学よりマンガを、映画よりもアニメを愛し、荒唐無稽なファンタジーに人生を重ね、美少女ゲームのヒロインに恋をしてしまうのか。
「それはおまえがオタクだからだ」と言うのであれば、ではそのオタク的なメンタリティが育った理由は何か。
これは本当は、制作者としてであれ消費者としてであれ、マンガやアニメやゲームに多少とも深く関わる人間であれば、つねに頭から離れないはずの疑問である。それは、日本のポップカルチャーを特徴づける最大の謎だと言っていい。

さっきの彼にこのような話を少ししたことがあるけど「趣味なんだからそんなに深刻に考えてもねぇ・・」と一蹴&苦笑されてしまった。大袈裟かもしれないがそれまではオタク仲間が見つかって結構喜んでたけど、その時にああこいつとは違うなと思った。

引き続き東浩紀の文章から引用。

しかし、いまのオタクをめぐる狂騒状況は、明らかにその謎を麻痺させる方向に動いている。若い読者は、まんが・アニメ的リアリズムを所与のものとして出発し、
「オタクはなぜキャラクターにリアリティを感じるのか」という本質的な問いは社会的にも意識されなくなり〜(中略)オタクの欲望がいかに異形で不気味なものなのか、みな忘れてしまったかのようだ。

僕らの世代(中学でエヴァブーム直撃)でさえこの命題を失いかけてるわけだから、さらにその下の世代となると言わずもがなでしょう。
別にみんなが大塚英志とか斎藤環とかを読んであれこれ考える必要は全く無いんだろうけどオタクである事に自覚的であった方がオタク人生は面白いと思う。結構疲れるけど。

ドラマも映画も結局はF1層・一般層に消費された「電車男」にオタクが乗っからなかったのは当然だが、世間のオタクに対するイメージはあの「電車男」そのものなんですよね。バイト先でレジをやってる時あれが売れるたびにこんなイメージが広がっていくのかと微妙な気持ちになったのをよく覚えている。とりあえずあんな薄っぺらな奴はいないんだということを、世間に知らしめるくらいにしないといけないんじゃないかなという気はする。
余談ですが結局あのブームで分かったのは喪男のモデルとしてアニヲタを使っても誰も怒らなかったという事だけでした。(そして、むしろ一番勘違いしてしまったのは「勘違いするな」と発言した連中であったことも周知の通り)

自分でも結局何が言いたいんだか良くわからないな(笑)。