第3世代オタクがみた伝説巨神イデオン 接触篇/発動篇

ねえ、おじさん、あたし思うんですけど、人にとっていちばん必要なものは、想像力ではないでしょうか?想像力があれば、他人の状況に自分をおいて考えることができます。他人に親切で、同情する気持ちを持ち、わかってあげることができます。  
            ジーン・ウェブスターあしながおじさん」(谷口由美子:訳 岩波少年文庫)より

ちょっとこれ↑思い出した。恥ずかしながら割と最近(3,4年前?)読んだんだよね。ジュディがかなり直情的ですごい性格だった気が。
接触篇』『発動篇』見終わって本当に疲れた。ちょっと放心ですよ(笑)。見る者に迫ってくるような力強さというか、鬼気迫る感じはどうしても今のアニメとの大きな違いを感じずにはいられない。二つの文明間の戦争と家族の関係が相似形を成しているあたりはやっぱり富野だなぁと。あとは正直、どうしてもエヴァと比べてしまうところがありますね。
ここでかなり詳しく『イデオン』と『エヴァ』の比較・検証がされています。
 →http://homepage3.nifty.com/mana/ideon-main.htm

基本的な感想としては
Ⅰ.話が重い。息抜きや癒しが無い
Ⅱ.壮大なオナニー(いい意味で)  
といったところ。
 Ⅰに関しては、アニメにどうしても「萌え」を含めて癒し的なものを求めてしまう僕らにとってはつらい。母星(作中で「ははぼし」と読ませてるんだけど、これがなかなか格調があって良い)にも裏切られ宇宙で四面楚歌・八方塞りになるという状況はまだいい。問題はやはり悲惨な死。女子供でも容赦なく,というか女子供ばかりが顔を撃ち抜かれ首が飛ぶ。自分は映画版しか見てないけど、TV版からじっくり見てそれぞれのキャラに思い入れのある人なんかはトラウマになっても無理はない。キッチンの死に方とかは問題でしょ(笑)。
実は実際に見る前は、我々の世代がこういう表現を見てもネタとしてしか見れないんじゃないかいう事がちょっと心配で、ちゃんと痛々しい気持ちになれたのでちょっとホッとした。もちろん昔からそういう風にみる目線はあったんだろうけど、現在の方がそれが強化されてることは間違いないわけで。
 Ⅱもまた僕らの世代にはエヴァを連想させますがエヴァが内向きオナニーであるのに対しイデオンは外向きオナニー、ソーシャル・オナニー(笑)と言えるかも知れません。人と人が分かり合う術は無いのか一緒に考えましょう、みたいな姿勢は全く見受けられず、スーパー独善的。結局皆分かり合えないから、子供の純粋さと宇宙の意思によってゼロから全てをリスタートしようという結論には無力感さえ感じる。もちろん、そこに立ち向かうコスモたちの姿には本当に胸に迫るものがあるし、「生きるんだ」という誠実な意思には正直感動したんだけど。(一つ一つの台詞も良い!)ただ逆に言うと,こういう独善的な強いメッセージを発するというのは現在では難しいよなと思う。何とも予定調和な作品が多いことを考えると、『発動篇』の突き抜け方は異常なくらい凄い。物語の根拠を女が支えるという構図がイデオンには無い事も関係するかも知れない。
 ただまあこんな感想はどうでもよくて、もっと肝心な問題がある。これは決して大げさではないんですが、イデオンを観るということは同時に「イデオンをどう乗り越えるか」という課題も抱え込むということではないか。「乗り越える」ということで言うと僕らの世代にとってはエヴァが正しくそういう作品だった。(正確にはもうちょい上の人達なんだろうけど)
過下郎日記のhazama-hazamaさんは

エヴァはオタのオールドタイプからオタのニュータイプへの過渡期的作品で、メカや設定に燃えたオタのオールドタイプは最後の「キモチワルイ」でエヴァから離れたが、オタのニュータイプは萌えオタにシフトすることができた。
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/20060505

と指摘している。偉そうな言い方で恐縮ですが、これは慧眼。エヴァをどう乗り越えるというのはオタクのアイデンティティーの問題でもあった。実際には、乗り越えたんだか乗り越えられなかったんだか分からない宙ぶんらりんの連中も多いんだろうけど(たぶん自分もそう)、何らかの決断を迫るような作品だった事は間違いない。一方、イデオンの場合は問題がもっとシンプルで、物語を特にあの結末をどう自分の中で消化するか、ということに尽きると思う。なんと言うか、あの結末(再生、転生)を是としてしまうと全部そこで終わっちゃう気がするんですね。これは観る側にしてもそうだし、創る側にしてもそうでしょう。ササキバラ・ゴウによればそもそも「ニュータイプ」や「イデ」といった超越的な概念で作品世界に根拠を与えることは思考停止なのだそうだが、ラストシークエンスでの憑き物が落ちたかのような穏やかな表情をしたキャラクターを見ると、確かに開き直りみたいなものは感じる。う〜ん、難しいところですね。ここはいろいろ考えなきゃいけないかもしれない。しかし富野由悠季はこれ作った後も「逆シャア」やるパワーがあって、ちょっと別の優しい方向から「F91」作って「∀」「キングゲイナー」までいくんだからホントにちょっと凄いですね。
 最後に一応、イデオン宇宙戦争を描いたSFアニメとして抜群に面白いと言う事は言っておいていいかも知れない。ただあの結末を見たあとに、「難しい事は抜きにしても単に宇宙SFとして面白い」みたいな事は言うのはちょっと抵抗があるなぁ。
 余談ですが、YoutubeにあがってたTV版のエンディングを見た。歌謡曲的な古臭い曲へのアダプター、レセプターは自分には無いと思ってたけど、正直、曲が素晴らしかった。『発動篇』もクライマックスの音楽が凄いですね。